ブログ開設2024年01月17日 16:18

1990年代以降、日本はデフレが続いています。
GDPもほとんど横ばい。諸外国にどんどん抜かれていきそうな状況です。
どうしてこんなことになったのでしょうか?
経済成長しなくても幸せに生きていけるという考え方もありますが、本当にそうなのでしょうか?

いろいろと考えを巡らせると、経済についての基本的な知識が欠如していることがそもそもの問題のように思えてきました。

日本を幸せにするための正しい経済の知識についていっしょに考えてみませんか?

被災地において大切なもの2024年01月18日 18:00

2024年1月1日に発生した能登半島地震で被災された方々にお見舞い申し上げます。
被災地域ではいまだに不自由な生活をされておられるかと思うと心が痛みます。少し状況が落ち着いたらボランティアに行こうかなと思います。それまでは自衛隊、消防の皆さんなどプロの方々にお任せするしかありません。どうぞよろしくお願いします。
いまは他の地域に住んでいる素人としては、遠くから石川県のものを買って応援するしかないのかなと思います。金沢のきんつばを買ってきていただきました。

ところで、被災地において大切なものは何でしょうか?
平時であれば、お金はとても大切です。お金があればたいていのものは手に入れることができます。食べ物、飲み物、服、なんでも買えます。
でも、いま避難所に避難されている方々にとっては大切なのは食べ物、飲み物、電気、水道、さらにはトイレやお風呂であって、いま目の前でお金を渡されてもそんなにありがたくはないはずです。(もちろん、将来のためにはありがたいでしょうが)
道路や水道などのインフラの復旧はとても価値のあることです。インフラの復旧に必要なのは、建築資材、建設機械・重機、それを動かす建設業者、そして技術です。でも、平時からそれらを養っておかないと、いざというときには役立ちません。いくらお金があっても、建設業者がいなかったら、重機がなかったら、復旧はおろか、被災地へ物も運べないということになります。

日本はこの20年間、お金を大切にする一方で、公共事業を減らしてきました。インフラを供給する建設業界を大切にしてきませんでした。
災害が続くのはいまだけではなく、地震国日本においてはこれからも災害が続くでしょう。そう考えると、日本に平時はないのかもしれません。だとしたら、お金よりも大事なものがあるのではないか。今回の災害を通してそんなことを考えています。

お金より大切なもの2024年01月19日 15:40

昨日は、”被災地においてはお金よりも物が大切”という話を書きました。

では、平時はどうなのでしょうか?

もう20年以上も前の話ですが、若い頃、当時のビジネスの世界の”常識”として、お金があれば世界中から欲しいものが何でも買えると習いました。不動産や機械はお金にはすぐに換えられない、でも、お金があれば買いたいものが買える(しかも最も品質が良くて安いものが!)と思っていました。
当時はいわゆるグローバリズムが全盛の時代。お金や物が国境を越えて自由に取引されると信じられていました。

ところが現在はどうでしょうか?
ロシアウクライナの戦争で、ロシアがドイツへの天然ガスの供給を止めました。ロシアは天然ガスの輸出の代金をルーブルで支払うように要求。天然ガスなんてドルがあれば買えると思っていたら、このケースでは、ドルよりもルーブル、天然ガスの方が貴重な財になりました。
現在進行形ですが、フーシ派の商船攻撃でスエズ運河を避けて喜望峰まわりにする船が増えれば、当然物の値段は上がります。
もはや、お金があれば安くていいものが何でも買える時代は過去のものになったかのようです。

”お金があれば何でも買える”と思っていた自分の考え方は間違っていたのではないかと思うようになりました。世界が平和で、安全に貿易ができるという前提があれば、この考え方は正しいのかもしれません。でも、その前提が崩れたら・・・・そんなものは常識でもなんでもありません。あるものを常識として知らず知らずのうちに前提にしてしまうことがありますが、落ち着いて、その常識には前提はないのか?前提が変わったらどうなるのか?と考えてみる必要があるのではないでしょうか。

国民はモノやサービスを提供する。政府はカネを出せ。2024年01月20日 21:51

今回の災害を通して強く感じるのは、被災地以外の国民は何をすればよいのか?政府は何をすべきかということです。

いまはまだボランティアなどで被災地以外の人々は被災地に助けに行けません。せいぜいできることは、被災地に思いを寄せること、被災地のモノを買って支援すること、義援金を出すこと、くらいでしょうか。
一方、政府ができることは自衛隊などを派遣すること、被災地の自治体や被災者に財政的な支援をすること、でしょうか。

この中で重なっている”お金”について考えてみましょう。
我々一般国民にとっては、お金は大切なものです。なぜなら稼ぐのは大変だから。自分では作れません。仕事をして、何かを作って、売って、ようやく手にすることができます。
一方、政府にとってお金はそれほど大切なものではないはずです。なぜなら政府は通貨発行権を持っているから。必要なものがあれば国債を発行して支出することができます。お金がないから被災地への支援ができません、などということはそもそも起こりえないのです。
国民は政府が支出してくれるのであれば、お金をもらって必要なモノやサービスを提供することができます。それが国民がすべきことだと思います。国民の持っているお金、出せるお金には限度があります。国民から国民にお金が移転するだけでは経済は大きくならないはずです。

我々国民は日々の生活や仕事を通してモノやサービスを提供する。
政府は支出できるのだからカネを出す。
こういう役割分担が必要なのではないでしょうか。

国債を発行するときに誰からお金を拝借しているのか?2024年01月21日 16:55

前回、「政府は通貨発行権があるから、国債を発行して支出できる」とさらっと書きましたが、少し解説が必要かもしれません。

国債について「国の借金」「将来世代の負担」と思っている人がまだまだ多いと思いますが、事実はそうではありません。
政府が国債を発行する際には、誰かのお金を拝借しているわけではありません。
例えば個人間でお金を貸し借りする場合について考えてみます。わかりやすくAさんがBさんから1万円借りるとします。この場合は、Bさんが持っている1万円がAさんに移ります。Aさんが1万円借りると、Bさんの持っているお金が1万円減ります。AさんとBさんの持っているお金の合計は変わりません。
ところが、政府が国債を発行するときはこれとは事情が異なります。政府が国債を発行すると、国債の主な買い手は市中銀行(三菱UFJ銀行や三井住友銀行など)です。1億円の国債を市中銀行が購入するときには、市中銀行の持っている日銀当座預金の残高を1億円減らして決済します。このとき政府の持っている日銀当座預金が1億円増加します。この時点では市中銀行と政府の日銀当座預金の残高は変わりません。しかし、この後、政府が日銀当座預金を元手に民間企業に支出をする(例えば、建設会社に1億円払って道路を作ってもらう)と、建設会社が市中銀行に持っている銀行預金が1億円増えます。と同時に、市中銀行の日銀当座預金は1億円増えます。
これらの取引をまとめると、以下のようになります。

政府:貸方に負債として国債が1億円
市中銀行:借方に国債が1億円、貸方に負債として預金1億円
建設会社:借方に銀行預金1億円

国債発行により、民間企業(建設会社)の銀行預金が1億円増えます。でもそれ以外に誰のお金も減っていません!
国債を発行して政府が支出するプロセスと、個人間で貸し借りするプロセスは、全く異なるのです。

このあたりは、簿記の基礎的な知識があれば理解できるのですが、簿記は商業科の高校で習う以外はあまり勉強する機会がないのではないでしょうか。普通科の高校から大学に進学すると、勉強する機会がなく、理解していない人が多いので、「国債は国の借金」と思い込んでいる人が多いと思います。
私もそうでした。大人になるまで勉強する機会がなかったので、ずっと「国の借金」と信じていました。でもいまは違うと説明できます。

なので、どうにかしてほかの皆さんにもこのことをお伝えしたいと思うのですが、誰に説明してもうまく伝わらず。。。